<第76回> 例会
年 月 日 令和6年9月25日(水) 晴
山 行 先 大輪田泊散策
参 加 者 丸山 博・ 宇野久二男・ 下川 和子・ 下川 博司
大輪田泊(おおわだのとまり)は平清盛が日宋貿易の拠点とするため修築、人工島・経ヶ島を築いて整備拡張。
その港を見下ろせる麓に福原京を計画、遷都を強行した。
JR京都駅に午前8時50分集合、ダイヤが少し乱れていて丁度到着した新快速姫路行きに乗り神戸駅で下車。
9時55分スタート、国道2号線を南下15分ほどで鎮守稲荷社へ。
清盛の甥・平経俊が一の谷で戦死し、供養の五輪塔が残されている。
国道を向かいに渡り七宮神社に、清盛が経ヶ島を築くため塩槌山の土砂を取るに当たり、そこに住む神を恐れ神社を現在地に移築し無事築造出来たと云われる。
バス道を少し南下し、運河に築かれた築島水門を左手にみて来迎寺(築島寺)へ。
清盛の経ヶ島築造に当たり幾度も暴風大波に会い難渋、人柱にたった17歳の松王丸の菩提を弔うため二条天皇の勅命により建立され供養塔が残されている。
その隣には清盛の愛人・妓王と妓女の墓も。
運河の角に当たるところに古代大輪田泊の岩椋(いわくら)が置かれている。
大輪田泊は奈良時代に行基が修築したと伝えられ、昭和27年の運河の浚渫工事の際に出土。
奈良時代後半の港湾施設の石材と推定された。
運河を離れて道を東にとり能福寺に向かう。
清盛が出家した寺と言われ、清盛の死後遺言によりここに埋葬され廟が残されているが遺骨はないとのこと。
境内には兵庫大仏(毘盧遮那仏)が鎮座する。
奈良・鎌倉に次ぐ大きさで平成3年の再建。
恒例の集合写真を撮る。
続いて真光寺へ、清盛が厳島神社を勧請して祀ったとされる兵庫七福神のひとつ。
時宗の開祖・一遍上人入滅の地で、五輪塔のある玉垣内に遺骨が安置されており県の史跡に指定されている。
道をはさんで清盛塚に立ち寄り、兵庫運河にかかる清盛橋を渡り薬仙寺へ。
時刻はとうに正午を過ぎ、暑さも手伝ってバテバテ。
薬仙寺には萱の御所(牢の御所)跡の碑があり、清盛が後白河法皇を幽閉した場所と伝わる。
最後に和田神社に詣でる。神代の昔蛭子大神が淡路から和田岬に上陸したと言われ、清盛が安芸の宮島から市杵島姫大神を勧請している。
13時、JR和田岬線和田岬駅前でお目当ての食堂にたどり着き、鮮魚のランチ定食に舌鼓。
英気を養い14時発の神戸市バスで兵庫津ミュウジアムに向かい、ひょうごはじまり館の常設展示室で大輪田泊の歴史を学習。
次いで兵庫県庁舎復元施設である「初代県庁館」で、初代知事に20代で就任した伊藤俊介(博文)の執務室や庭園を見学。
門前で2枚目の集合写真に納まる。
16時ごろ市営地下鉄海岸線で三宮・花時計前駅に出て、阪急神戸三宮・JR三ノ宮駅でそれぞれ帰宅の途についた。
長文になりましたがご容赦を。 以上 下川 博司(記)