今回の旅行では、地球の裏側の南米・ペルーに行ってきました。一番の感想は、『大変疲れました』です。クスコに到着した時は、それほど疲れたとは思わなかったのですが、伊丹⇒成田⇒ニューヨーク⇒リマ⇒クスコと航空機を乗り継いでの1日半に及ぶ旅程と、時差が14時間、更に着陸しても耳抜きが必要ないクスコの標高3360mという空気の薄さが体調にダメージを与えます。私が参加したツアー参加者で、最後まで体調不良にならなかった人は居なかった様です。特に空気の薄さは後になって効いてきました。また高地とは、坂の町です。平地と同じように歩くと息が切れて目眩がします。ゆっくりした動作に努めることが大事でした。
さて、ツアー最大の目的地は、標高がクスコよりは低い2460mのマチュピチュ遺跡です。標高は低いのですが、聖なる谷と呼ばれる峡谷地帯です。麓のマチュピチュ村に2泊し、丸1日遺跡を回りました。ただ残念ながら乾季の6月なのに、雨期の2月並みと言う雨に降られてしまいました。午前中は目前のワイナピチュが霞むくらい視界が悪く、雨カッパで遺跡内を見て回りましたが、右も左も絶壁で、マチュピチュ遺跡を発見したハイラム・ビンガムがよくもこの絶壁を這い上がって発見したものだと感心いたしました。遺跡前のサンクチュアリロッジでの昼食後、ようやく雨も上がり、15時頃にはすっかり晴れてくれました。午後は、クスコ方面からマチュピチュへの入り口であるインティプンク(太陽の門)までインカ道のトレッキングを楽しみました。
さて、遺跡の感想ですが、石の文化には圧倒されます。クスコ市内には12角の石をはめ込んだ剃刀も隙間に入らない有名な石垣が残りますが、マチュピチュに残る石垣も同様です。ただし、全ての石垣がそうではありません。手を抜いた石垣の建物も在ります。手が込んでいる建物は、王の宮殿や王妃の宮殿、そして重要な神事が行われた神殿です。石垣の出来栄えを見比べながら遺跡を見ていると、遺跡を少し分かった気になれました。なお、最近の研究で、マチュピチュ遺跡はインカの都だったクスコとアマゾン地帯を結ぶ中継都市だった事が、分かってきたとの事です。
次に標高3812mのチチカカ湖に移動しましたが、途中のラ・ラヤ峠は標高4335mあり、富士山を500m以上越える標高を体験してきました。今回のツアーでは、クスコ近郷の標高3700mの村とチチカカ湖に浮かぶ浮島のウロス島の集落を訪ね、土着の人の生活を拝見しました。民族衣装を着て出迎えてくれます。村ではトウモロコシを育て、島では魚を獲り、糸を紡いで布を織ります。そして何よりも神への感謝の儀式が一番です。作業の前に祈りを捧げます。生活の厳しさが実感できるところです。村では、伝統的な昼食もごちそうになってきました。見学した後、この人たちの生活は、10年20年後も同じように続くのか心配になりました。暮らしぶりは60年前の日本を連想しましたが、消費文化がどんどん入り込んでいます。今までは自給自足の生活をしていたのが、変化している状況が分かります。チチカカ湖は、富栄養化も進んでいる様です。かなり汚れていて藻もかなり繁殖しています。ペットボトルなどのゴミも散乱しています。今まで通りの生活はできなくなりつつある気がします。
最後にナスカの地上絵の遊覧飛行にも行きました。リマから日帰りです。ナスカの手前にあるピスコの空港から乗客12人乗りのセスナ機で30分でナスカ上空に着き30分の遊覧飛行後ピスコに戻ります。この日は天気が良く、有名なハチドリ、サル、宇宙飛行士などの地上絵を、しっかり見ることができました。上空から見ていると、有名なパターンの他に訳の分からない線や曲線がたくさんあります。未だ未だ解明されていないのだと思います。
最後に、ペルー旅行を考えている人にアドバイスです。冒頭に書きましたが、南米は遠く、行くにはやはり体力が必要です。できるだけ体力のあるうちに行かれることをお勧めします。また、今回は乾季に行ったのですが、雨に降られました。砂漠地帯のリマでも、霧雨が降っていました。現地のガイドさんに聞くと、毎日のように降るそうです。ただ、霧の様な雨なので、傘を持っているリマの人は居ないそうですが、旅行者には雨具は必要です。また、赤道に近いので、晴れると熱帯の太陽の日差しが強く、暑くなります。しかも、標高の高いクスコなどでは朝はぐっと冷えます。1日の中で気温差が半端ではありません。朝はダウン、昼間はTシャツの感じです。それと、バスのエアコンが入ると寒く、切れると暑くて厄介です。どのバスのエアコンも、こんな調子です。持ち歩くかばんの容量を少し大きめにして、対処が必要でした。
|