黄金伝説と黄金の輝き(私の石物語A)        寄稿  福田 弘秋
  黄金について皆さんはどのようなイメージをお持ちですか?
金塊、大判小判、金色堂、ゴールドラッシュ、財宝・・・・・・。
   金は化学的に安定で腐食しにくく、長い間輝きを失うことがない、また産出量が少ないため太古の昔から大きな価値を持つものとして最高の財宝とされてきたのだろう。
価値の代名詞としての金貨の我が国での始まりは天平年間に使用された開基勝宝とされており、日本銀行 金融研究所 貨幣博物館に所蔵されている。
   これまでに世界各地でゴールドラッシュが起こりそこへ人々が殺到した歴史が何度もある。
代表的な米国カリフォルニアのゴールドラッシュについて調べてみた。
1848年にシェラネバダ山脈から流れ出るサクラメント川の支流アメリカン川の中流の村コロマで金塊(大きな砂金?)が発見された事に始まった。
   米国内外から(ヨーロッパ、アジア等)約30万人が一攫千金を夢みてこの地へ殺到し、1855年頃までの約10年で1300トンを超える金が採掘されたとの記録がある。
この影響でサンフランシスコは当時500人程の小さな開拓村にすぎなかったが15万人の都市へ変貌、1850年にはカリフォルニアは合衆国31番目の州となった。また、大陸横断鉄道など交通網も整備されその後の州に繁栄をもたらすこととなった。
   ゴールドラッシュはアメリカン・ドリームとは一味違うカリフォルニア・ドリームと云う独特の意識を醸成し大規模農業、石油採掘業、映画産業、航空機製造業、IT産業と現代へ続くカリフォルニア独自の産業を育て富をもたらすことになった。
これ以外にも1851年オーストラリア ビクトリア州、1861年ニュージランドオタゴ、1896年カナダユーコン準州クローンダイクなどにもゴールドラッシュが起こった。我が国では、あまり話題となっていないが幕末から明治中期にかけて北海道で砂金採集の一大ブームがあったようである。
   明治維新の解放によりそれまで内地の藩、家に閉じ込められていた農家の次男坊、三男坊などが自由と一攫千金の夢を求めて北海道各地の山川へ入り砂金採りを行い、小指の先程の大きな砂金が大量に取れたそうである。また大相場師で鉄道王であった雨宮敬次郎は砂金採掘団を1887年〜1894年頃松前に送り込んだという記録も残っている。
*私は1992年7月にリフレッシュ休暇をもらい家族で北海道旅行の途中、浜頓別町に1泊して頓別川の支流宇曽丹川で砂金採集を試みたが半日で2−3mm程の砂金10粒程の成果であった。
日本は火山国のため温泉が多く金銀の濃集が起こり易い地殻構造により昔から金の産出量が多いとされている。
14世紀の初頭マルコ・ポーロは「東方見聞録」で黄金の国ジパングとして日本を次のようにヨーロッパに紹介し、その後の大航海時代を誘発したと云われている。
 「ジパングは東海にある大きな島で・・・・・黄金は無尽蔵にあるが国王は輸出を禁じている・・・・」(青木富太郎訳)
ところで黄金=金だろうか?
   黄金(コガネ)=粉金(コガネ)=砂鉄との説もある、鉄の需要と供給とからこのような解釈となった時代もあったと思われる。
   平家物語などに登場する金売り吉次も奥羽地方の鉄(砂鉄)を畿内に販売する鉄のバイヤーであったとの説もあって興味深い(もちろん金も扱っていたのであろうが・・・)。
中世に入って人口が増え食糧増産が必要となりそのために鉄製農器具に大量の鉄需要がおこった、やがて食糧生産が増えるに従い余剰品を基礎に貴族階級や彼らを守る武士階級が台頭して、武器としてさらなる鉄の需要を生むことになる。
   全国各地に金山神社や金田明神など金をイメージする神社が多数あるが、これはその近辺で金や鉄、銅などが採掘されていた名残りと判断してよいだろう。
採掘といっても現在の鉱山のような機械方式の大規模鉱山でなく砂金、砂鉄採集程度の規模であったと予想される。
 さて下の写真をご覧ください。
これは1988年1月に埼玉県某所で採集したものある、蛇紋岩と苦灰石の境界面に膜状に濃集した金で、ハンマーで岩石を砕き金の輝きに遭遇した時はまさにビビッーと来るものがあり、これが黄金の輝きか!と感動したものである。
 *光の加減で見にくいが緑の棒の先付近の薄褐色部分が金 <苦灰石上の自然金>
                                     
   <参考文献>
     ・「カリフォルニアの黄金」 越智道雄著 朝日新聞社(朝日選書)
     ・「ジパング黄金伝説」佐治芳彦 著 自由国民社
     ・新編「砂金掘り物語」脇とよ 著 みやま書房
     ・「相場師異聞」鍋島高明 著 河出書房新社
     ・「貨幣博物館パンフレット」 日本銀行 金融研究所