小さなペン立て(私の石物語@)            寄稿  福田 弘秋
  何回かにわたり石にまつわる話をお許し願いたい。
自宅の机に古い小さなペン立てが置いてある。厚さ1cm、手のひらほどの大きさでラフな三角形をした艶のあるこげ茶色の石板に金属のペン差しがついた、シンプルな構造である。(添付 写真参照)私にとってはこのペン立てに懐かしい想い出があり、その来歴についてちょっとお話したい。
  話は20年以上前の1980年代後半に遡るが、故人となられた元本田技研工業会長の杉浦英男さんが所用で堀場製作所を訪問され、当時の堀場会長、大浦社長と面会されることとなり私が東京から京都まで案内同行する役を仰せつかり新幹線の車中で貴重なお話を聞かせて頂き感激した場面を昨日の事のように思い出す。
  当時杉浦さんは、本田技研工業を辞められ、経済同友会の外交部長として日米間に横たわっていた自動車貿易摩擦問題に取り組んでおられ、テレビ番組にも経済界を代表して度々出演されていたことをよく憶えている。一度テレビに出演するとあちこちから出演依頼があり断るのに困っていると話されていた。車中の雑談のなかで、たまたま石談義におよび以下の展開となった次第である。
  本田技研工業の創業社長である本田宗一郎氏がミシガン工科大学から名誉工学博士号を授与されその授与式の随行員として杉浦さんが同行された。授与品の中にペン立てがあったが、これを杉浦さんが本田宗一郎さんから随行への謝礼として拝領されたもので、このペンIMG_0073.JPG立てこそ冒頭に紹介した小さなペン立てなのである。
  そんなに石が好きなら、君にあげる! 僕が持つより君が持つ方がよかろうとの事で私へ回ってきたと云う歴史を持つのである。
   ある日、本田技研工業からの呼び出しがあり、杉浦さんの書面を添えたこのペン立てを頂き感激に震えたものである。しかし今はその書面が行方不明で価値半減のため「何でも鑑定団」へ出せなくなり極めて残念に思っている。
さてペン立てに戻ろう! 石板の素材に注目したい。写真では見にくいが表面を観察するとこげ茶色の石基に赤銅鉱若しくは自然銅と思える艶のある暗赤色の斑点が斑雲のように認められる。もしかしたら、これは銅鉱石をスライスして作られた物ではないかとの見立てをつけた。
ペン立ての裏面を見ると「Kingstone mine Keweenaw County Michigan」とのラベルがあるではないか、そこでミシガン州について調査したところアッパー半島で1840年代初期に銅と鉄鉱石の大きな鉱脈が発見され1860年代には全米銅産出量の90%を占めるほどになり1965年まで本格操業が続き現在でも小さな鉱山が細々と採掘を続けているようである。最盛期にはカリフォルニアのゴールド・ラッシュを上回るほどの活況を地域にもたらしと伝えられている。当時の鉱石積出港はカッパーハーバーとしてその名を現在に残している。
 やはりこのペン立ての素材は由緒ある地元産の銅鉱石を利用したものだった。
なお余談となるが往時の精彩は無くなったもののミシガン州と云えばデトロイトの自動車産業である、私の勝手な推測ではあるがアッパー半島産出の銅、鉄とピッツバーグやクリーブランドの製鉄や各種工業製品、アパラチア山脈の石炭と五大湖の水運、が元になりデトロイトに自動車産業が興り発展したのではないかと思っている。このような来歴を持つ小さなペン立ては38年間の私の現役時代の想い出としてこれからも大切にしていきたい。